韓国の話

 中国と関係ないけど、韓国の話をします。私の仕事とは直接関係なかったのですが、SHOESの問題で、応援を求められ、釜山の工場へ行きました。私自信の守備範囲も満足に守りきれてないのに人の応援をしている場合か。。とかありますが、状況的にもう仕方ない酷さ。担当者はふさぎ込んでました。自分の仕事を放棄して韓国へ出発しました。シーズンは真冬。当時韓国から商品を10件輸入すると8件は必ずクレームになってました。これほどクレームが発生すると前向きな仕事など一切できません。全部マイナスを減らす作業になります。いずれにしてもマイナスはマイナス。どうひっくり返ってもプラスにはならない。応援の形なので私も責任が無いので気分的には楽だったのですが、すごく印象に残りました。行った初日は大したこともせず、早めにHOTELに返りました。コンドミニアムとかいう形式のHOTELで自炊設備があります。とりあえず夕食の買出し。市場で太刀魚など仕入れ料理自慢が料理をしてる。男が料理した割にいけるじゃないか。太刀魚が新鮮なのだろう。多分どう料理しても美味い。まるで修学旅行のようで楽しかったなあ。ここからです。日本に入れた商品は既にクレームが発生しており、市場にも流れてる。もう不良品を入れられないということで、我々が直接工場へ行った形です。納期の問題もあり、工場側は従業員に残業を強制する。夜中になると工員のひとりが、りんご箱にのって何か叫んでいる。それを工員が群がり囲みなにやら雄叫びをあげている。暴動です。発注先の担当は我々日本人を裏口からコッソリ出るように案内する。鉄扉を開けてもらった私たちは そこから脱出です。身の危険を感じました。工員たちは、出口を塞がれ出られないようになってます。当時台湾でもここまでの状況は、経験したことがなかった。今はこんな人権無視なやり方はないとは思いますが、根底には残ってると思う。韓国取引先の担当は二人で、上司と部下の二人です。上司の部下に対する扱い方がヒドく、目に余るものがありました。ある日、部下はは仕事に来ませんでした。体調が悪くなるのも無理ない。そのとき二人は兄弟だと聞かされました。兄は弟より絶対的に偉いのだそうです。弟は目が見えなくなってると別の人から聞きました。私が聞いた情報が全部正しいとは思いませんが、そういった傾向がどうもあるようです。国が違うといろいろあるもんだなあと思います。
 話飛んで、兎に角寒かったです。足元からなんというか痛みが伝わって来る感じ。寒いとは聞いていたので完全防備で行ったつもりですが、効果なし。経験したことのない独特な寒さ。HOTELに帰ると暖房機器が全く見当たりあせん。いったいどうしろというのだ!早くストーブを準備して当たらせて!と思いましたが、どうも寒くない。暖かくも無い。これがオンドルでした。床暖房です。ぜんぜん寒くない。暖かくも無い。体験したことがない状況だったので、不思議な感じ。それと港の海辺立ったまま食べたタコは本当に美味しかったです。屋台でもないし、店をやってる感じはなく、港に横付けされた船が店のような感じで、陸にいるおばさんがお客さんにそのたこ料理を配ってる。小さなタコでまだ動いてます。これ食べたら口の中で吸い付かれるのではないか?食べると塩味で、なんというかごまラー油&塩味とでもいうか、うまい。もう一度食べたい。続いて近くに小汚い家に案内され、これも店構えはない。普通の汚い民家に入った感じ。出されたのは30cmはかるく超えてるヒラメの姿造り。これも美味かったなあ。どこに行っても食べ物が食べられなくて困る私ですが、韓国では一切困りません。食べれないものが無い、全部美味しいです。食べ物に困らない韓国ということで 今日締めくくらせていただきます。

 余計な話を少しだけ書かせていただきます。先日買った加湿器ですが ほんと活躍してます。24時間、家にいると、ヤカン二杯分くらい水が必要です。ふとヤカン二杯の水を直接部屋にまいたらどうなるのだろう?と考えてしまいました。加湿器は、空気が乾燥するのにあわせて、絶妙なペースで水分を補給してくれてるのですね。いいぞ私の加湿器。

 というわけで 学習記 書きます。
どこまで書いてたかなあ?う~ん。
・我喜欢她漂亮。
これどうでしょうか?先日の連動文の方式で見てみましょう。
私は彼女が好き。綺麗。 前が主眼です。
→私は彼女が好き。綺麗だから。 とか 私は彼女が好き。綺麗なところが。
 こんな感じでしょう。
 でもこの文連動文じゃありません。動詞はひとつしかありません。しかし述語は二つあります。だいぶ前に書きましたが、私はこの述語が重なる文、連述文と呼んでます。こんな言葉はどの本を見てもありません。私が勝手につけた言葉です。連動文は連述文の中のひとつと考えてます。前半が動詞述語文で後半が形容詞述語文ですが、述語が重なってるのは間違いではありません。いくつか別の例文で見てみましょう。
・女同学们都嫌男同学们的房间太脏。
 女生徒はみな男子生徒の部屋が嫌い。とても汚れてる。 前が主眼です。
 →女性とはみな男子生徒の部屋が嫌い。とても汚れてるから。
・这个不幸的消息使我很难过。
 この不幸な知らせは私にさせた。悲しい。 前が主眼?この文何故かすこし迷うな
 あ。
 →この不幸な知らせは私にさせた。悲しい。 この文章どうもこれ以上推測して変え
  ることができない。

 これらの文は全て一般に言われる兼語文から抜き出しました。前回兼語文について書きましたが、動詞述語文+動詞述語文のパターンばかり抜き出しました。今回は全て動詞述語文+形容詞述語文です。兼語文は連述文(≧連動分)です。

以上



 

今日もマジメに学習記

学習記です。
我请他吃晚饭。
これどうでしょうか?続けて連動分について書いてましたが、前回、様態補語を挟みましたので、今回戻ります。連動分です。連動分の前の述部と後ろの述部の関係は、多種多様です。大きく分けて前から飾ってるか(=後ろ主眼)のパターン、後ろから飾ってるというか後ろから付け足してる(=前主眼)のパターンの二つです。そのまんま方式で見てみましょう。
・我请他吃晚饭。
 我请他 私は彼に頼む。  吃晚饭 晩ご飯を食べる。
 どう考えても、どっちを言いたいかと問われると、或いはどっちを省略出来ないか?
 と問われると、前が主眼です。私は彼に頼む、晩御飯を食べることを。って感じか
 な。。日本語訳は、「私は彼に夕飯をご馳走する。」となってる。私はこの分析で充
 分、納得してる。

 他でも試してみましょう。
・你让他唱一个日本歌吧。
  あなたは彼にさせる。あるひとつの日本の歌を歌う。前が主眼です。あなたは彼に
  させる。あるひとつの日本の歌を歌うことを。って感じ。日本語訳は「君、彼に日
 本の歌を歌ってもらってよ。」となってる。

 どんどんやってみます。
・我找他跟我下棋。  
 私は彼を捜す。彼と将棋をする。 前主眼です。
 私は彼を捜す。将棋をする為に。って感じかな。。

 もう一つやってみます。
・同学们选他当班长。
 クラスメートは彼を選んだ。クラス委員を担当する。前主眼です。
 クラスメートは彼を選んだ。クラス委員を担当することに。こんな感じです。

 どうも調子が悪いです。前主眼と後ろ主眼の二つのパターンがあると書いたのに後ろ主眼の例文しか出てこない。マズイ!強引に後ろ主眼の例文を持ってこないと私の主張がウソになる。。。 待て!冷静に考えると、「中国語は 先に結論をもってきて付け足すパターンが多いように思う。」と以前にも書いてる。この意味に限ると、私の主張も ある意味では間違ってない。それに前後の述語の関係が多種多様であるということも間違いない。  ではあるが。。。

う~ん。   これらの例文は、いわゆる兼語文から抜粋しました。連動文と同じ考え方で分析して、最後に「これらは実は全部兼語文です。とバラして、どうです!兼語文と連動分を分ける必要はないデショ?」でシメくくる構成で考えていたのですが、ハズレです。兼語文はどうも、先に結論をもってきて 後から付け足すのが決まりの様です。(前の文の目的語が後ろの文の主語になるのが兼語文ですから、考えると付け足し分になるのは当たり前です。)

 言っておきますが、兼語文は連動文です。この考えは一貫しております。連動分には前主眼と後ろ主眼のふたつのパターンがあると言ってましたが、兼語文に関してだけは、前主眼しかない様です。ワンパターンです。兼語文=付け足し文 と考えても間違いと思います。

連動文に関しては書きたいことが、まだまだありますが、小さな発見をしたので、先に公開します。

以上



 

 



 


今日はマジメに学習記

学習記です。連動分についてばっかり書いたので、今日変えます。
・我昨天睡得很晚。
この文どうでしょうか?
ご存知 様態補語とか状態補語とか言われてる文です。
結果補語の時も書きましたが、某文法書には、「述語となる動詞や形容詞において、述語の表す動作行為の結果や状況を補足説明する成分を補語という。」とある。結果補語の時も書きましたが、補語は補足説明する成分というのに私は納得してません。私の中では補語は、この文の主眼(=言いたいこと、主軸)であって、決して補足説明ではない。
睡得很晚
睡得が補足です。很晚が主眼です(寝るのが)遅かった。遅かったことを言いたいのです。日本語の会話でも「私、昨日遅かったんですよ。」と言う。「私、昨日寝るのがおそかったんですよ。」は丁寧に補足まで加えて言うバージョンです。遅かったのが主眼で、言いたい事なのです。決して補足説明する成分ではありません。補足説明する成分は「睡得」です。見る本見る本ことごとく、話を合わせたかのように 補語の事を補足説明する成分であると必ず書かれている。みんなこの解説で本当に納得できてるのだろうか?わたしは不思議です。
 その補語の中のひとつ様態補語について、あるひとは、様態補語が使えるのは、評価・描写・結果の3つの場合だけと言ってる。例文は下記。
他跑的很快。 評価
房间收拾得干干净净的。 描写
他哭得眼红了。 結果
 この説は、使える!と思いましたが、結果というのは結果補語になるのでは?という疑問がわいてきた。解説してありました。「単に結果を表すだけなら結果補語を使いますが、動作が原因になって至った結果の状態を表すには様態補語を使います。」と。
「単に結果を表すだけなら結果補語を使う。」??? 哭得眼红了は、単に結果を表しているだけではないということになる。泣いて目が赤くなった。これ単に結果を表してないですか?他に何を表してるのだろう?「動作が原因になって至った結果の状態を表すには様態補語を使う。」長すぎるでしょう。もっと一言二言で簡単に言ってもらえないでしょうか?じゃあ明らかに結果補語である 吃饱 で考えてみましょう。食べてお腹いっぱいになったのです。これ「動作が原因になって至った結果の状態を表すには様態補語を使う。」の条件全て満たしてますよ。ということは食べてお腹いっぱいは様態補語を用いて吃得饱というべきでしょう?でも実際の会話で使ってるのは結果補語 吃饱 を使う。(実は、実際は 吃得饱吗?とか聞かれたことが何回もある。実際は混ざってると思う。気分で使ってるのではなかろうか?)この記事を書いた方は途中で疲れて切り上げたのではなかろうか?兎に角書いてることがよく解らない。私が考えた結論は、簡単なのが(文字二文字とか代表的な結果補語の形)が結果補語。長いのが様態補語。中国語は文法が無いので(失礼。文法が統一されてないので)いろんな説が飛び交います。学習者は、いろんな説を見ながらどれを自分に取り入れるか、選別しなければなりません。どの説も断言しているのでそうなのかなあ?と思いますが、次の瞬間すぐに矛盾するフレーズと出会います。大体の解説は、矛盾するフレーズの例文は書きません。知ってるけど、自分の説明と矛盾してくるので書かないのではないか?親切な解説は、例外があるということで書かれてある。或いは解らないけどそう言ってる。とか。。断言した以上大体の部分で使えないとおかしいです。若干の例外が発生するのは中国語の世界では仕方ないと思います。考えてみると日本語も同様ですね。例外だらけです。広島出身の私が、京都に出てきてアルバイトを始めたとき「これ、ホカシテ!」とマネージャーから言われてわたしは、聞いたことのないフレーズなので意味が解らず、放っておけ。の意味だと思い、何もしませんでした。この件だけで私の評判は悪くなり、辞めざるを得ない状況になりました。スグ辞めましたが。次に行ったバイト先では、みんな良い方で実に楽しいバイト生活を過ごしました。同じ日本人どうしでも、言葉の問題ってあります。中国は広いのでもっとあると思います。

疲れたので寝ます。

以上

歯の話

 あれは、中国出張の前の晩でした。私は自宅で、北海道の産地から直接取り寄せた毛蟹を食べながら、飲んでました。前歯の横の歯がポロリと抜けました。マズイ。明日から出張。1週間帰ってこれない。客先もふるに一緒 フルアテンドというやつです。歯が無いのはサズガにまずい。もう奥の手です。アロンアルファーを買ってきて、とりあえず付け、そのまま出張。あれほど信頼してたアロンアルファーも、人体には効かないようで、行きの飛行機の機内ではずれました。とりあえず、形だけでも必要なので、歯を刺して客先と合流。すぐ取れます。仕方ないので歯はカバンに収め、絶対に口を開けないように、笑わないように!昼間はスマシタ顔をしてなんとか過ぎましたが、夜はそうはいきません。飲まなきゃイケナイ。飲んでる席は笑わなければならない。笑うと歯がないのがバレてしまう。すぐバレました。「お前笑うと、気持ちわるいなあ。」とか言われながら、なんとか陽気な雰囲気をKEEPしながら飲む。バレたらもう関係ない。この回の出張もいろいろ有ったと思いますが、とりあえず、日本に帰りスグ歯医者へ行きました。歯医者さんに抜けた歯の状態を診られて最初に言われたのは、「やったな?」の一言でした。

 全く関係ないですが、コロナについて少し 書かせていただきます。
菅首相は、自分の信念に基づいて行動される方ですので、GO TOを停止することは無いと私は思ってましたが、今日GO TO全面停止です。本日医療現場を視察され現場の声を聞き、余程心を動かされたのだと思います。この決断も以前の信念を翻したかのように見えますが、私の感想は、やはり自分の信念を貫く人だなあ。という感想です。
世論がどうであろうが、周りがどう言おうが、その影響はあまり関係ない。自分の信念に正直な人だと感じます。応援したいです。自分のスタイルのままで私はOKです。それに引き比べ、小池さんは、なぜ「それは政府が決めることですから。」とか、自分の仕事を放棄したような発言ができるのでしょうか。腹の立つことも矛盾も、わたしは言ってるのに、とかいろいろあるとは思いますが、心では思っても、政府が決めることですから。とか言っちゃダメです!

学習記です。
先日に続いて連動分です。先日も書きましたが、連動分の前の述部と後ろの述部の関係は、多種多様です。大きく分けて、前が飾りで後ろが主眼のパターン。前が主眼で後ろが飾り(付け足し)のパターン。この二つのパターン。実際の会話では、この文は後ろが飾り(目的)でとか、この文は前が飾り(手段)でなんて考えてるヒマありません。そのまんまの順番で考えるべきです。もっというと日本語にも訳すべきじゃない(頭の中のイメージだけで文章を捉える。)ですが、大人が学習する以上最初は、日本語に訳すしかないですが。。。長期出張にでて、全て中国語で考える生活が続くと、コピーを失敗したとき「不是!」と自然に出てきて、あー今私は中国語で考えてたんだと ひとり苦笑してました。いちいち日本語で考えず、そのまんま中国語で考えるのが、理想です。試しにやってみましょう。
・他来吃饭。
 彼は来る。食事する。→来て食事する。
 彼は来る。食事する。→食べに来る。 とも取れる。このあたりは文脈次第です。
・我买采去。
 野菜を買う。行く。→買って行く。
 野菜を買う。行く。→買いに行く。とも取れる。
*とも取れるというか、この文章の普通の意味は、「買いに行く。」らしい。
 買って行く。の意味があるのかないのか、私には現状不明です。
*来 去 は、方向補語の時もそうだが、中国語の中では特殊な使い方がされます。
 例文としては悪かったか?
・我座飞机去上海。
 飛行機に乗る。上海へ行く。
 これそのまんまで全く問題ないですよね。
・你有没有机会去中国?
 あなたは機会がありますか?中国へ行く。
 これも日本語としては宜しくないかも知れませんが、一応意味は通じます。
・我有一个朋友会说广东话。
 これどうでしょうか?一般にこの文は兼語文と解説されており、連動分と区別されて
 ますが、私の考えは、連動文です。そのまんま方式で考えてみます。
 私にはひとりの友達がいます。広東語が喋れます。
 なんの問題もありません。そのまんま入ってきます。
*調べると、重なった述語がある場合、主語がひとつは連動文。主語が、ふたつは兼語
 文のようです。でも、区別する必要あるのでしょうか?わたしは必要ないと思いま
 す。兼語文は、連動分です。
今日、ここまでにします。連動文はまだ書きたいことがありますが、今日書ききれません。

以上


 

 


 
 




蟹アレルギーの話

 今日は、蟹アレルギーの話をします。私の母親が、蟹アレルギーでした。カニは好きなのです。食べたいのです。でも食べると大変で、何度か大変苦しんでたのを覚えてます。私は平気です。我が家では、滅多に食べさせてもらえるものではないので、父親がどこかでもらってきたとかなると、家族で一番多く食べてたなあ。母親が食べれないのが、私にとってラッキー位の感じで。
 ある出張で、台湾だったかなあ?イヤッ、深圳だ。いつもの様に工場との会食を終え、HOTELに返りお風呂に入りました。どうも体がかゆいので、鏡を見てビックリ!自分が酔ってるのだと思いました。全身真っ赤です。何かの錯覚だろうと腕を見ると明らかに赤いというか蕁麻疹です。とりあえず朝まで我慢して、翌朝工場へ行くと「どうしたんだ?まだ酔ってるのか?」のような事を言われる。実はカユイのだと言うと、すぐ病院へ連れて行ってくれました。深圳 とは言っても少し離れた东莞というエリアで、病院と言っても診療所のようなところ。病院の雰囲気さえ全くない病院でした。廊下では、小さな子供を抱えたお母さんが、静かに待ってます。抱き抱えられた子供 見るとこの子供あと寿命はどのくらいあるのだろうと思わせるくらい痩せてる。待ってた私が呼ばれました。診察室へ行く途中、妙な部屋があります。床から壁から全てコンクリートで、簡易ベッドがひとつだけ置いてあります。部屋の隅にプラスチックのバケツがひとつだけ置いてあります。このバケツが異様に怖い。私の推測ですが、どうもこの病院の手術室だと思います。私は子供の頃、広島県の県北に住んでいた時期があります。牛の屠殺場というのがあって、小学校の帰りに毎日その前を通っていたのですが、ある日、中を覗きました。禁断の地です。コンクリートだけの部屋。床は微妙に傾斜が付いている。ここで牛は殺されるんだと思いました。見てはいけないものを見てしまった感覚で、家まで走って帰ったかな。床の傾斜は血を洗うためだろう。ぞっとしました。ぞっとしましたが、牛肉だけは、美味しいので大好きでした。完璧に別の引き出しで考えられるようになっていました。廊下の通り道でわき見しただけですが、この手術室は牛の屠殺場と完全にかぶってました。とりあえず、診察室へ。先生は最初に書かされた問診票を見ながら「お前は苗字が〇で名前がXか。」と結構吐き捨てる感じで言われました。私は〇Xで苗字だと言うと、日本人か。と言われました。中国は漢字一文字が普通です。日本人のように二文字は、ないでしょう?今のところ見たことも聞いたことも無い。イヤッたしか北部で漢字二文字の人がいたような記憶があるが。。。タイガーバームだけ渡され、2日くらい塗ってると蕁麻疹は収まりました。思い返すと、過去にもこの蕁麻疹の症状ありました。その共通点はどうもカニを食べた夜です。しかも日本と違い中国では、淡水のカニを食べます。上海蟹も淡水です。この時解りました。私は淡水カニアレルギーだったのです。
以上

学習記です。 
先日少し書いた連動文 今日も書きます。全部そのまんま方式で考えてみます。 
・我用中文写信。中国語を用いて手紙を書く。
 *そのまんま方式で全く疑問も矛盾もありません。
・我去邮局买邮票。郵便局へ行って切手を買う。
これもそのまんま方式で問題なさそうですが、文法書の訳は、切手を買うために郵便
局へ行くとなってる。両方の意味が取れる。前が修飾か、後が修飾かは、我々学習者にとって非常に大切な事項です。中国語には「てにをは」が無いので、こ
のあたり 日本語のように 明確じゃないと私は感じます。あとは話の流れでみんな
自然に理解してるのだと思います。でもまずは、そのまんま の順番でイメージするべきです。実際の会話で、この述語は目的で。。。なんて考えてるヒマないですから。まずはそのまんまです。日本語に訳すのも反対です。とはいえ とっかかりは、訳さないと始まらないので仕方ないです。(大人は。)(子供は なぜだか知らないけど、大丈夫みたい。)思うに、中国語では、結論を先に言って説明を付け足す形が結構あります。郵便局の文ですが、郵便局へ行った(補足:切手を買うためにネ。)という感じです。日本語では、この言い回しはないでは無いのですが、公の文章では少ないと思います。別の効果をねらった小説とかドラマとかでは、けっこう有る。私の印象では、ルパン三世。「まっかせなさい。運を。天に。」「返してもらいに来たぜぇ。色々とな事を。」の類。いわゆる倒置法です。倒置法で妙な味を出している。中国語はこの後から付け足し方法が結構多い。有 が述語になってる文は完全にこの付け足し分です。
有饭吃。有衣穿。ものの有る無しは、必ず前にくるようだ。
 連動文の二つの述部は、多種多様な関係があると前回書きました。その通りです。
前が修飾のパターン(=後ろが主眼)と後ろが修飾のパターン(=前が主眼のパターン)このふたつのパターンが、多種多様に使われている。しかも使い方が、日本語のように明確でない。もちろん中国語にもこの関係を接続詞等で繋げて明確に表現する方法はあります。有りますが長い。長いから省略する。中国語は省略が好きです。いちいち接続詞なんてつけない。緊縮複文なんてのもありますが、要はいちいち言わなくても分かるでしょ?と とにかく省略する。

連動文に関しては、書きたいことたくさんあります。たくさんあるので今日だけでは書ききれないです。

 とりあえず、今日疲れたので寝ることにします。

以上 

思い出しながら書きます。

 あれは、台湾経由で無錫の奥の常州というところへ行った話を書きます。日本からの持ち込みと台湾で頼まれた荷物をまとめると、予想外の荷物になってしまいました。コロコロのついたカバンが5個位になりました。プラス自分の荷物。空港で預ける荷物は、計られるので記憶に残ってます。350KGです。大人5人分を今から私は運ぶのだなあと思いました。運ぶしかないのだから、運びました。苦労したのは階段です。階段の途中にオドリバがあったので、ひとつひとつそこまで運びます。そこからオドリバに残してる荷物に注意しながら、上の階まで同じ要領で運びます。AIRで運べばこんな苦労全くないのですが、当時私はその知恵がありませんでした。何事も経験が必要で、初めてのパターンは、考えに考えて結局間違った方向に行ってしまう。間違いは間違いを生むもので、上海でも駅を間違えました。南駅というのともう一つなんとか駅というのがあって、別の駅へ行ってしまったのです。まあこの件は解決できるのですが、駅に着いてからが問題です。しかし、中国では赤帽さんがいて、大きな荷物を抱えているとすぐ来てくれます。助かりました。あとは列車に乗るだけ、軟座です。グリーン席です。その車両に乗ってるのは、外国籍ばかりです。西洋系が多かった。私は、ドタバタの中でも ちゃんとビールを買ってその袋のなかには氷も入れてあります。執念とでもいうか、仕事では出さない機動力を自然と発揮してました。シャンハイ 蘇州と 汽車に乗り~ 常州に着きました。着くなり私の荷物に元気で若いのが群がりました。私の荷物を肩に担ぎ上げると どんどんどこかへ運んでいきます。彼らは何故コロコロの機能を使わないのだろうか?まさか知らない訳はないでしょう?疑問に思いながらも我に返り、いくらの値段でどこまで持っていくの?一切会話なしです。ここで荷物を失っては洒落にならない。その群れの全員に注意しながら付いていく。どうって事ありません。彼らは迎えの車が来る場所は知ってるのでそこへ運んだのです。仕切ってる感じの子に適当な金額をみんなで分けてね(日本語で。)と言って渡しました。工場には着くには着いたのですが、そこから大変。子供ウェアーを数型生産してたのですが、そのうちの1型 パーカーですが、頭が入りません。頭周りというのは大きなサイズになると大人とそれほど変わりません。こんな商品を市場に出したら、死んじゃいます。(私が。)仕方ありません。オーバーで強引に首周りを削っていきます。最初は、削るラインを書いてキレイにミシンをかけようとやってましたが、こんな事やってたら船積みに到底間に合いません。目分量です。ガンガン縫っていきます。途中から合流してきた、新人の後輩と仕上がりの確認です。結構大変。ドタバタやってるところに、電話がかかってくる。上海の工場でうちの会社が支給した生地に問題があり、裁断を止めてるとの事。マズイ!納期がずれる。工場側には、納期がずれた正当な理由が出来た事になる。このパターンは最後AIRになったら必ずもめます。新人一人残し私は上海へ。工場へ着くとそのまま裁断場へ。生地に縦ジマが入ってるとの連絡でした。裁断台に延反された生地を見ながら、ウ~ン。全集中で見る。この縦ジマどうも、上に吊ってある蛍光灯を動かすと、動く感じ。。単なる蛍光灯の影です!「許してよ~。私 別に、深刻な問題抱えてるんですよ。」と言いたかったが、ここは生産担当の余裕を見せなければならない。「問題なければ、それでOKです。」と。さすがに工場側も悪いと思ったのでしょう、食事というか飲みの誘いです。私はこの攻撃に弱い。常州に残した新人も気になりましたが、とりあえず一つ問題なかったという事で、上海で飲みました。次の朝 直接、駅へ行ってよかったのですが、HOTELが工場に近かったので、とりあえず一旦工場へ、この時たまたま工場へ来ていた一人の女性を紹介されました。第一印象、現地の人と思いましたが、日本人との事。髪はパサパサでとても日本人とは思えませんでした。キレイにしてたら綺麗なのに、一体どうしてここに?という感じ。
 なんだかんだで、常州の商品も無事出荷されたのですが、納品後、首周りとは全く別の予想もしなかった大問題が発生しました。私は問題発生時、既に次の出張で中国でした。何もできませんでした。どんな問題か、どう対処したか省略します。長くなるので。
 私が、この回の出張について書こうと思ったのは、上海で会った女性のインパクトが強くて、この回の出張の最初から思い出しながら書きました。後から聞いたのですが、彼女は現地採用らしいです。給料も人民元です。自分の志で上海で現地採用。彼女も夢があって、上海で働いているのだと思います。憧れとかトキメキとか。でもなあ~。私は勧めないなあ。。

 少しだけ、全く関係ない話を書きます。加湿器を買いました。ノドもカラカラにならないし、実に快適。どうして早く買わなかったのだろうか?実は以前買ってましたが、当時買った加湿器は、自動的に湿度を調整する機能がなくて、気がついたら、床が水ビタしになってました。これじゃ、カビだらけになってしまうとすぐ捨てて、それ以来加湿器を信用してなかった。ネット社会といい、加湿器といい 時代は恐ろしく進化している。もう5年もしたらもっとSFの世界になっていくのだろうなあ。。

学習記です。
 ・我存钱买房子。
よく解説されてる連動文です。
ある文法書には「動詞述語文のなかには、述語に二つ以上の動詞が、ある関係をもって主語を共有する文。」とある。対等・並列・原因・結果・目的・手段・方法・仮定の関係で繋がっているとある。
 私が考えるには、述部が(この場合動詞)が重なってたら、連動文です。ふたつの述部の関係ですが、多種多様である。この位の意識で良いと思いますが。。
 ふたつの述部の関係って、自然に解ります。そのまんまです。(例外もある。)
「私はお金を貯める」なんで?貯めてどうするの?自然に疑問が湧きます。続けて「买房子」と目的がきます。目的とか考えなくてそのまんま お金を貯めて家を買う。と訳すこともできると思います。私はそのほうがいいと考えます。とっかかりは、目的とか考えるのも良いとおもいますが、私は、最終的には考えるべきではないと思います。日本語に訳して考えるのも反対です。そのまんま 我存钱买房子。なのです。
 ・他失恋自杀。 
これどうでしょうか?読んで字の如し。そのまんま方式で考えてみましょう。
他失恋 / 自杀。 彼は失恋して自殺した。 目的とか理由とか考えません。そのまんまです。彼は失恋して自殺した。
 ・他买菜去。
そのまま考えると 野菜を買って行った。となるが、 野菜を買いに行った。 という意味もあるらしい。二つの述部の関係は、前後の文脈の関係もあるだろうし、まさに多種多様である。連動文に関しては、もっともっと書きたいことがあるがキリがないので今日はここで止めときます。力が残ってる時にまた書きます。

 全く別の話をもうひとつ書きます。
有没有去过中国?このコトバどうでしょうか?違和感ある方いらっしゃいますか?
普通の中国語だと思って 有没有去过?と普通に使ってたのですが、学習しだしてなんかこのフレーズおかしいと感じました。普通に考えると你去过中国吗?となるわけで。。じゃあ、この有没有は何なのだろう?辞書にはありません。調べてみました。
 どうもこの言い方は台湾の言い方のようです。私の場合、最初に通ったのが台湾だったので、台湾の言い方を覚えてしまったようです。答えは、没有去过。没去过。有去过。などになります。私が覚えてしまった中国語は、他にもこの類がありそうです。
中国語学習には、このようなパターンもあるということで、参考までに付け足しで書きました。
以上 あ~疲れた!

今日は、TAIWAN

 今は、そんな事はないだろうと思うのですが、
ある日 台北から高雄行きだったか、台中行きだったかのバスに乗りました。一緒に乗った同僚が、いきなりリクライニングを思い切りフルに倒しました。それも普通の倒し方ではなく、グァシャ!という派手な音と共に。驚いた表情で見ると、彼はうれしそうに「〇〇さん!台湾ルールだから大丈夫なんですヨ!」確かに後ろの席の人もなんの違和感もない様子だ。いつもやられてるので、やり返してるのだそうだ。それならばということで私は、少し多めにリクライニングを静かに倒しました。他にも台湾ルールがいくつかあったのだが、思いつくまま書いてるので今どうも思い出せない。思い出せないのだがバスの思い出ということで、ひとつ思い出しました。一人で台中へ移動したとき、着くには着いたのだが、見たこともない景色で、本当にここは台中なのだろうか?という状態。私の予想としては、台中の駅前あたりで下ろされるのだろうと予想していたのです。駅からなら一本道でTAXIで工場まで行く自信があったのだが。。台中駅も見渡す限り見当たりません。その一本道もどこにあるのか解らない。完全な迷子です。迷路です。当時携帯もなく、まず公衆電話を探す。工場に先に行っていたローカルスタッフとなんとか繋がる。思わず言ってしまいました。我在那里?彼は
私の不幸を大変喜んでました。歩いてる人間を誰でもいいから捕まえて代われということで、目の前に歩いてきた見知らぬ人にいきなり受話器を渡したなあ。。この件は、酒の席になると1年経っても2年経っても、その場のみんなに拡散された。
 私の場合、思い出しても 台湾ではTAXIでグルグル回られ高いお金を払わされたとか、どんどん山奥に入っていかれ、ヒヤヒヤしたとか、苦しい事とピンチな事とかばかりで いい思い出はありません。これが不思議なことに出張のたびにひとつふたつ必ず起こるのです。いつも暗い気持ちで出張してました。仕事だから行くしかないのです。台北空港には独特の匂いがあり、その匂いに包まれるたび、憂鬱になってました。それに比べ私の上司T課長なんか営業だから全く違いました。始めて台湾に行った時は、空港から直接 林森北路へ客先を連れて直行だったそうです。いわゆる林森大学と言われている一帯です。入るのは簡単だが、卒業が難しいと言われていた、かの有名な林森大学です。何度か目の台北出張の折り、現地駐在の支店長に 飲みにに連れて行ってやろうと言われ、林森へ連れて行ってもらったそうで、初めて来たような雰囲気を出していたのだそうだが、その店の奥から女性が〇〇チャ~ン!と手を振りながら走り寄ってきたのだそうです。「あの時はカッコ悪かったなあ。」と本人は言ってましたが、結構喜んで話してました。仕事だから辛いことも多いはずなのだが、純粋に心から台北を楽しんでました。この課長、香港、中国にも行くわけですがそちらはそちらで活躍しているようで、「私は、中国ではアジアの虎と言われてるからねえ。」とこれまた楽しそうに自慢してました。このくらい物事楽しめる人間でないと、営業の課長は務まらないのかと思っていた彼も、たまに「商社の営業なんてねえ。男芸者ヨ。」とマイナスな発言もたまにはあったなあ。

学習記 何も決めてない。う~ん。有 について書こうかなあ。
・我有两个孩子。
・桌子上有一本词典。(一般に存在分と解説されてるが、私は通常の主述文 SVO
 と思う。)この件は又いつか別途書くと思います。
・他大约有三十多岁。
そのまんま 有る というイメージで大体のところ理解できると思います。
・我想有一天去中国。 はどうでしょうか?
どうも存在の意味での有るのイメージでは理解できません。こんな時もうひとつの意味
漠然とした物事を指す「ある~」と考えると理解できる場合がけっこうあります。この文章もそうです。これだけでも 有 の使い方が拡がります。
・那个在哪里有卖?
*これは、いろいろ調べましたが 有卖⇒売ってる。と覚えるしかないです。でも有卖は辞書でも出てきません。個人的な考えですが、中国語は卖 买が発音が同じで差は四声だけです。区別の為に有卖 売って有る としたのではなかろうか?
・中国古代有个诗人叫李白。
これはそのまんま 有るのイメージでいけるのですが、中国語の原則が主述分をするとこの文章 主述述と述部が重なってる感じ。一般的にというか この文章どの本を見ても100% 兼語文と解説されてます。
 私はそう思いません。述語が重なってる文。連述文と思ってます。これだけ文法が統一されてないのだから個人個人の文法があって当たり前と思ってます。この文章は連述文です。連述分なんて解説してる本は無いし、この言葉もありません。まさに私が作った単語です。この件に関しては又書くと思います。
熱中してきたので、続けて書きそうですが明日の仕事もあるので寝ることにします。

以上

題名なし。思いつくがまま。

 朝、誰にもオハヨウとも言わない先輩がいました。朝9:00過ぎに何も言わず静かに席に座って仕事を始める感じ。各々が生産担当なので、客先がちがいます。ハッキリ言って向かいの席の人も隣の席の人も何をしてるのか全くわからないし、仕事のことに口も出さないし、口を出されることもない。そのかわり全部個人責任です。生産担当とはそのような仕事です。そんな中でその先輩から19時回ると半強制的にこちらの状況は無視で、「行くぞ!」と言われて、よく飲みにいってました。余程の事があれば別ですが、金曜夜なんか何時に仕事を切ろうが、土、日曜日に出勤すればいいだけなので、私も内心喜んで行っていたなあ。以前書きましたが、「工場との意思疎通の為 白酒を死ぬ気で仕事をこなしている。」と説明してくれた例の先輩です。ミナミで一杯飲んだ店で、法外な値段を言われて、ちょっと騒ぎになったこともありました。
 安い店を見つけて毎晩飲みにいってました。(メンバーが変わるので、この先輩とは週に1回~2回のペース。)その先輩はあまり食べないのですが、ラーメンだけは うるさくて、中国出張の時も(以前書いた工場ですが。)近くのいつも行くラーメン屋でラーメン作りの基本を指導をしていたそうです。(この話もあまり信用できないです。相手は一応プロ。)指導の内容は「スープは多く、麺少なく。」というものだったようです。内容を聞いたところ、実際に厨房に入り、指導したそうです。ダメだったときはどうするのですか?と私が尋ねると「やり直し!」と堂々と言ってました。まあ店側としてはその分お金になるので いいお客さんだったかも知れませんが。。推測するに 随分迷惑な客であったであろう。
 現在、この先輩もこの世にいません。5年位になるかなあ?私は既に東京転勤になってたのと、葬式は身内だけでということで、一切行ってません。

以上

ところで、周庭さんについてみなさんどのように思いますか?
私も世界の人が感じたのと同様、もう香港に自由はないなと感じました。当時香港はイギリスなので、真から自由な感覚がありました。中国に返還されたのが、それが1997年だったのですね。返還が決まったら、海外へ出るという人の話をよく聞きました。コンテナーの運転手が出国するために寝ずに仕事をして出国するとかいろんな話がありました。その後一国二制度ということで、香港に行ってもぱっと見、あまり変わった印象がなかった。お金も一緒だし、香港を維持してきましたが、ここにきて変わったと思います。

 学習記です
无奇不有。 故事成語で慣用句ですが、中国語で否定がふたつ重なるとわけ解らなくなりませんか?(私だけか。。?) 珍しくないものは無い。⇒全部珍しい。
否定の否定は肯定。日本語にもこの言い回しはある。
 似たので、可不是吗。というのがあります。
辞書を引いてみると そうではなかろうか⇒そうなんです。慣用句だそうです。
可不是吗。⇒そうなんです。慣用句なのだから単語のように覚えるしかないと思いました。 しかし?まてよ。。? 中国語を 英語の場合とか日本語の場合とかで考えるのは間違いだと思っている私が、つい、日本語で考えてしまいました。
日本語の場合、一緒に歩いている方が、解ってるハズの道を間違えて左に曲がったとします。私は「違いますよ。右じゃないですか。」と言います。右だと言い切ってるので、当然?マークもつかない。何の偶然か知りませんが、あまりに中国語とかぶってる。この可不是吗。に日本語を当てはめると「そうじゃないか!」となる。⇒「そうなんだ。」と言ってる。偶然だと思うが、偶然と思えない。隣の国で交流も古くからあるので。ついでに英語の場合どうなる?~,isn’t it?とかあるが。。。疲れるのでやめとく。たぶんぴったり来るのはないと思う。言葉が違うのだから。当たり前。偶然 日本語と同じなのが不思議。
 しかも私は、この「だって、そうじゃないか。」を なんの疑問もなく、普通に使ってる。これが子供が無意識に言葉をおぼえるのと大人が理屈から入って言葉を覚えようとする事の差であろうか?
 ついでにもう一つ書きます。
你说的对。
你说得对。
このふたつ 意味は同じですが、発音が全く同じなので話してるぶんには区別できません。話し手も聞き手も大して意識してないと思います。

寝ます。以上

何 書こうかなあ。

この記事訂正があります。もう投稿しちゃったのでイイカとも思ったのですが、私が書きたい核心の部分なので、やっぱり訂正しておきます。赤文字参照ください。

 何書こううかなあ。。。
 当時 出張先で 日本側の上からよく言われた言葉は、”問題解決するまで帰ってくるな。”というフレーズです。 大きい小さいの差はあるが 問題なんて常時三つや四つかかえてる訳で、非常に精神衛生上悪い。その精神衛生上の為にアルコールという手段があり、ある人々はそれで転落する。納期の問題は常に抱えてました。 納期なんてゴムじゃないんだからあ。そんな簡単に伸び縮みしませんヨ。と言いたかったが一応プロなのでその言葉をぐっと飲み込み。という感じ。 実際は、営業も弊社○○が工場に張り付き、交渉を行っているという形で、客先への言い訳に使っていました。私が上の立場なら生産担当に同じことを言い同じことをすると思います。ただ実際のところ現地では、私の場合、ご飯が かなり困りました。HOTELの近くに有る雑貨屋へいったのですが、なんとnissinのカップヌードルがあるじゃないですか!早く言ってヨ~!すぐHOTELへ持ち帰りフロントで、お湯を入れてくれとアクションで伝える。フロントの人はすぐレストラン部門へ行きお湯を入れてくれる。やった食べれる!  箸が無い! なぜか私は筷子という単語だけは知っていて、アクションと発音で伝えると無事 割り箸が出てきました。
食べました。最高です。日本のカップヌードルよりうまい。鳥が野生で飼われてるせいか、そのスープがバツグンにうまい。昔なつかしい味がする。日本のカップヌードルが世間に出てきた当時の味です。原産地はMADE IN HONG KONGになってました。私の場合子供の頃はカップヌードルなんて高級品で、絶対食べさせて貰えませんでした。家庭の状況によるとは思いますが、当時一般的にいっても高級品でした。東京のベルボトムのジョンレノンのような髪型の人が食べるものということでヒットしたと、あとあとの報道で知りました。子供は自分では食べれませんでした。
 話題戻って、当時のかかえていた問題の話ですが 原因云々その他問題書くとエキサイト&END LESSになるのでやめます。まあそんな類の件で、長期出張は多かったなあ。心が病んでいたなあ。。日本に帰りたくて ビザが切れると日本に報告したのですが、即答でした。「香港に一旦出国して再度中国へ入りなさい。もう一ヶ月居られますヨ。ホンコンに出てワンタン麺でも食べて帰ったらいいんだヨ。」実に陽気な返答が返ってきました。この陽気さに私はある意味救われてました。いい上司がいると本当に良い。でも本当にもう一ヶ月なの?現地にいるとある工場の現地駐在の人からは、この業界で健康な人は居ない。体が病んでるか、心が病んでるかどっちか。。ある取引先の人は、帰国の時、この飛行機 落ちてくれたらラクになるだろうなあ。。と思ったことを、会社で言ったら、お前だけラクになられては困る。と一蹴されたという話を聞かされました。ある商社の担当は、寝袋を持参し裁断台の上で寝ていたという話も噂で聞きました。(内陸部でまともなHOTELが無かったのでしょう。)如何せん中国全土の電力不足とか日本でも報道されてました。春節が長いのも日本で報道されてる。でも客先は許してくれない。たぶんその客先の担当者もその先から許してもらえない。じゅんぐりなんですね。挙句、後付けで文句を云ってくる。後付けって便利ですよね。後出しジャンケンみたいなもんで、必ず勝てるのですから。現在のコロナの問題にしても報道では好きなこと言ってますよね。最近GO TO の政策 を非難しているのをテレビで見ますが、私からすると そんなに言うんだったら、じゃあ、あなたが GO TO~が始まった瞬間にそう言えよ!と思います。なんの原因だか定かでない(個人的には空気が乾燥したからだけの原因と思ってます)、急激に増えた陽性の数字をみた後に ~するべきだったとか、批判的に言ってる。 結果見てるんだからどうにでも言えるじゃん。もっと前向きなコメントできないのだろうか?でも前向きなコメントだけだと、TV的には面白くないだろうなあ。

学習記を書かないとイケナイ。今日はかるく ”再见”について。
仕事終わって、帰るとき。工場の方との挨拶は 日本人はほぼ”再见”です。これじゃ寂しすぎますよ!
○○见。なんでもいいんです。大板见。 东京见。 北京见。 明天见。 后天见。考えながらでもいいです。次に彼と会う時間あるいは場所を想定して あるいは約束の意味を込めて、現実にはありえなくて構わないのです。口約束です。この一言で全然違いますよ。

ここで今日のシメククリにしようと思ったのですが、学習記の内容がどうも足りない気がする。本題の学習記がおろそかになっている。

もう一つ書きます。
这件事谁肯干。この文章はOSVになってます。中国語の通常説明されてる語順のSVOに反します。 訂正:反するように思えます。
個人個人の文法は、各々違うと 私は、結論してます。たぶん、会話が通じてるどうしでも お互い文法は違うと私は考えてます。
这件事谁肯干。 この文章どう考えますか? 倒置法? 
 私個人ですが、基本のSVOと考えます。訂正:私個人ですが、SSVと考えます。中国語の大部分は主述文(主部プラス述部)です。主部:这件事 述部:谁肯干 で、主述分の中の1種類である主述述語文になります。何の矛盾もありません。私は中国語の場合、主語S=話題 と考えてます。話題は名詞でもいいし動詞でもいいし目的語でもいいしそれが句であってもセンテンスであっても何でもいいです。話題+それがどう(説明とでも言おうか?)間違ってるかもしれませんが、私の場合このイメージで大体のことは相手に伝わりました。もちろん不十分と思います。でも最初はこれで良くないでしょうか?
 中国語のメインは主述文です。
主語は話題でなんでもいい。言いたいことが話題です。要はなんでもいいのです。数でもいいのです。述語は? 述語は。。う~ん 説明。 要は話題がどうなのかを説明する部分。私はこのインチキ文法はで自分の言いたいことは言って伝えてきました。聞く人の配慮がかなり必要ですが。。。。

疲れました。寝ます。

以上

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